これがパンクスタイルというものなのか。

それは、分かりませんが。


『タンク・ガール』(レイチェル・タラレイ監督/1995/米)

VHS第二弾〜!
これを観ようと思ったのも前回観た「プレイデッド」と同じような理由からである。
これも、DVD版は残念ながら、私の数少ない情報網からは、探しても見つからなかった。
 タイトルからして、強い女の子だったり、パンチの効いた映画を想像した。
そして、どこかカラフルであり、ここに、ビョークの「アーミー・オブ・ミー」が使われているというのだから、少しの期待と楽しみが湧き上がるのであった。
 イギリスにて、大人気のSFコミックを映像化したものだそうだ。
その世界は、カラフルでポップな表情とは、裏腹に、絶望的である。
2033年の近未来において、生命が生きていくために必要な水がないのである。
見渡す限り砂漠、の世界で、不足する水を独占する悪いやつらが、それなりに平和に生活していた、主人公、レベッカのホームを襲撃する。
 爽快に、途中挿入されるコミックページが、楽しみのひとつである。
これが、映画の世界をコミカルにしているものであるが、作中の人物は、誰もがマジである。
どんなにおちゃらけていても、何だかマジなのである。
作られた世界なのだから、当然のことと言われるかも知れないが。
この映画の感じは、どっかで観たぞ、と思えば、何となく、タランティーノ監督の、「キル・ビル」のようである。
ただアニメーションが入ってたしね、ってだけでなく。
その地球上の人々が恐れる、怪物的存在の“リッパー”も、最初の戦闘シーンから、何となくどこか抜けていて、それまで、人々の恐れようからは愕然としてしまったくらいである。
実際に正体を観てみると、某B級中のB級映画「○男」にそっくりなんである。
この“リッパー”たちは、主人公と関わりをもっていくことになるのだが、観ていくほどに愛らしく感じられ、またかっこよくて、私的にはツボである。
というように、「○男」似のリッパーらをはじめ、主人公のレベッカ、眼鏡っこのカワイコちゃんジェットなど、コミックが原作とは言え、一人ひとりのキャラクターが何とも素敵だ。
それから、ケスリーという人物が、この人どこかで見たなぁという感覚はあったものの、「時計じかけのオレンジ」で主人公、アレックスを演じていた、マルコム・マクドウェルだったとは、観終わって知った事実であったが、驚いた。
 いわゆる、おふざけムービーであるかも知れないが、リッパーにしろ、タンクにしろ、体液を水に変えてしまう気味の悪い兵器にしろ、結局のところ、とことん痛快であった。
「タンク・ガール」は、はじめ、タンクトップの女の子のことであるかと思ったが、違うのである。
それも、一度、観てみれば分かります。


080924 tank girl







2008-09-25(Thu) 00:52| 映画| トラックバック 0| コメント 1

『プレイデッド』


『プレイデッド』(ダニー・キャノン監督/1993/英)

 VHSを使っての映画鑑賞は、幾沙汰ぶりだろうか。
どこを探しても、DVD版がなかったからなのであるが、ずっと観たいと思っていた。
VHSでも、それはそれで良かろうと、手にしたのであるが、しかしながら、邦題と、原題が異なることが、こんなにも厄介なことだとは、思わなかった。
なるべくであるなら、統一してもらいたいと思ったしだいである。
 さて、前置きが長くなったが、『プレイデッド』。
こちらは、邦題のようであり、タイトル・ロールでは、「ザ・ヤング・アメリカンズ」と表示される。
麻薬と拳銃がはびこっていて、殺意、怒り、がうずまく、息もつけぬほどに、騒然とした街に、一人の警官が降り立つ。
夜中、クラブに溢れる“ガキ”は、悪さをする。
その“悪さ”の裏には、更なる、悪意が潜んでいた。
躊躇なく人が、次々と殺される。
そんな街を、人は、ゴミ溜めだ、という。
それは嘆きか、街を口にする、その者に、一瞬の感慨を抱いてしまった。
 死を演じる、という意の「プレイ・デッド」は、もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、某ミュージシャンの、つまり、ビョークというシンガーのアルバムにて、セカンド・プレスからのボーナス・トラックとして収録されていた、楽曲のタイトルである。
何とも、ミーハーな話であるかもしれないが、その曲が、この映画にて主題歌とされている所以で、この映画が観たいと思ったのである。
この曲は、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を知り、ビョークを知り、「セルマ・ソングス」を知り、ビョークの楽曲を執拗に捜し求めていた際、当時はi-Podを持っていなかったため、携帯電話にダウンロードして、何度も、バスルームでも聴いていたため、この曲を聴くと何とも湿った情景が浮かぶのである。
その湿りは、バスルームの、それだけでなくて、何となく「死」という言葉のもつ、ぬるさや、生々しさとリンクさせているような気がする。
嫌悪と呼ばれるその街は、死に溢れた街である。
ただいま、歌詞を片手に、「プレイ・デッド」を聴いてみたりしているのだが、たかが主題歌といえど、あなどれない。
映画を観終わっていながら、また、何か自分に染み込んでくるのだ。
これを上手く表現できれば、この文章も形良いものになるのかもしれないがままならないのでやめておく。
あえて言うならば、これも、彼女の持つ、楽曲に対する、真剣な姿勢というものが影響しているのではないだろうか、と頭の片隅の方で考えてみたりする。
 サスペンス映画ということで、あまり手にしないものであり、いわゆる映画という映画であったが、映像にて、スローモションの使い方や、悪役の、もう見るからにしての悪役っぷりなど、見所はある。
それから、93製作ということだが、イギリスにおける、アメリカ文化の流入の視点の一部を、ある意味、垣間見ることができる映画である。
 ビョークの「プレイ・デッド」のプロモーションビデオにおいても、ダニー・キャノンが監督をしていて、映画のシーンもちょこちょこ観ることができるので、一見してみてはいかがだろう。



playdead





2008-09-22(Mon) 03:14| 映画| トラックバック 0| コメント 0

叩きつけろ。

 何をしている。
またひんひん泣くだけ。
わたしの信条は、明確にあるわけではないけれど、きっとこうじゃない。
体が、そう言っている。
わたしの、あしもと。
何て素敵なんだろうって思えた、今日。
進めなきゃ、意味がない。
落ち込むなじゃなくて、落ち込んだ、その次が肝心だ。
きっとそうだろう。






2008-09-19(Fri) 22:15| 未分類| トラックバック 0| コメント 0

この曲はなんだ?

ジャジャジャジャ ジャジャッ
ジャジャジャジャ ジャジャッ

うーん
ブルーススプリングスティーンぽい。
けど違う。
ポールウェラー?
違うだろうなあ。
誰だ!
あ、終わっちゃった。


2008-09-16(Tue) 20:03| 未分類| トラックバック 0| コメント 0

せつない気持ち。

 この、どうしようもない、感じは何だろう。
わたしには、踏み出す一歩がある。
踏み出せる一歩がある。
だけど、そうしてしまったときに、何が起こってしまうのか、分からなくて。
最悪なパターンだけが、何度も頭を反芻する。
だから、踏み出せない。
どこに行けば、その先が見える。
だれかに聞けば、その一歩の方向は定まる。
わたしだけ。
またもや、わたしのみぞ、知る、のだ。
わたしだけが、どうにかできるのだ。
社会的な常識、って何だろう。
案外、曖昧なものだと、今になって気づく。
それを必死に抱きしめている人もいるんだから、この世はまた分からないものだ。
放棄するってことじゃない。
模索は続ける。
見つからないだろう、答えを、いくつも、いくつも追いかけながら、また日々は続く。
一歩を踏み出す勇気。
これを乗り越えることができれば、またわたしは変われるはずなのに。


2008-09-15(Mon) 03:28| 未分類| トラックバック 0| コメント 0

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